知るUCHU wagashi vol.1

UCHU wagashiの世界観をつくるひとやモノについて綴ります。

UCHU wagashiはスタートして12年目。当時も今も100年後の文化となるような「今の和菓子」を追求し続けています。そんなUCHU wagashiをつくる様々な人やモノについて、作り手の視点からお伝えします。

<第1回>UCHU wagashiがうまれる前のはなし

初回は代表の木本勝也。UCHU wagashiの生みの親です。和菓子の世界に所縁のなかった木本が、UCHU wagashiを始めるきっかけから、立ち上げるまでについて本人に聞いてみました。


ー木本さんの簡単な経歴って、芸術系大学を卒業後、新卒で大手企業に就職、そのあと長いフリーランス期間を経てUCHU wagashiを始めた、ですよね。

大手企業のグラフィック部門なんてデザイン業界では花形かと思うのですが、短期間で辞めた理由をおしえてください。

木本:大手に就職したかっただけで、会社員になりたかったわけではないと気付いたからです。フリーランスとしてイラストレーターになろうと思っていました。

ーすごい、自信がないとなかなかできないと思います。それでイラストレーターになられたのですか?

木本:全く。片っ端から自分を売り込みましたが誰にも相手にされませんでした。

ーえ。思っていたのとは違う。


木本:イラストレーターとしてやっていける根拠のない自信があったので、あれ?という感じです。

ーいきなり雲行きが怪しくなりましたね。

木本:自分はその気流には乗れないので別の方法を模索していました。それから再就職してお金をためて、アパレルや雑貨のブランドを立ち上げたりしていました。

ー反響はいかがでしたか

木本:反響は良かったです。ただ今のようにECの無い時代。多売をする方法を知らず長続きしませんでした。今のようにロジカルに考えられなくて。面白ければ良いと思っていたんですね、失敗の典型です。いま思うと有意義な失敗でした。

ー面白いだけでは続かないということでしょうか。それでUCHU wagashiを?

木本:いえ、この段階ではUCHU wagashiの構想はひとつも浮かんでません。そのあとは海外に住んでみたり。できることを模索していました。そうこうするうちに30歳を超えていました。


30歳を区切りに考える人は多そうですね。

木本:30を過ぎて鳴かず飛ばずだったので、やばいなと思いました。友人たちもバリバリ仕事を楽しんでいる時期でもあったし。会社員になろうかと思ったけれど思うようにはいかなくて。やっぱりフリーランスでやるしかないなと。ここで自分の力で精一杯やって、それでも通用しないのならデザインという仕事をきっぱりやめようと決めました。究極的に最後だから他人の仕事に依存するのではなく、自分で全部やる必要がありました。本当に崖っぷちに立たされている気分でした。

ー焦燥感が目に浮かびます、、。どこかから仕事を請け負うやり方では、自分のアイディアを100%カタチにすることはできないということですね。この段階でもまだ和菓子には出会っていないようです。次回はそんな木本がUCHU wagashiというコンセプトに出会い、スタートさせるまでのお話をお伝えします。


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